須崎(﨑)の「さき」は、[大]と[立]の世帯を、須崎(﨑)としました。

その他のスザキ、スサキ(18種類)
寿崎、数崎、諏崎、酢崎、壽崎。洌崎、鷲崎、洲岬、 汀、須埼
素崎、寿咲、周崎、洲崎、須嵜、寸崎、洲前、朱雀

5.御嶽山の須崎に飛ぶ:青梅市の御岳山・300年前の5軒
6.奥多摩の須崎に飛ぶ:奥多摩:100年前の13軒

番号本名内容
日本姓氏大辞典
角川書店
すさき、すざき、須崎、州崎
河川の流水による土砂でできた州、又はその突端。
(関連姓氏)洲崎、須崎、酢崎、寸崎、寿咲、洲前

須崎の由来は、どの本でも概ね上記の記載です。私もそう考えていました。
これは常識的な記述です。全国を調べてみて、どうも違うようです。
(1)須崎の分布
須崎の分布は、河川との関係が少ない。
私は、旅が好きで若い頃から全国を歩いているので、概略の地名と地形が解りますが、河川のある町に 須崎がない市町村が多かった。
(2)洲崎は少ない
洲ならば、須崎よりも洲崎が多いと思うが、須崎がある市町村では洲崎は10分の1程度である。
洲崎は全国で、1000軒程度と思います(須崎がない所に存在)
(3)地名「須崎」に須崎がいない。
高知県須崎市には須崎0軒、須崎御用邸:静岡県下田市・2軒、千葉県白浜町洲ノ崎0軒

98/09/13調査
番号本名内容
新編妙氏家系辞書
秋田書店
昭和58.1.15 第4版
須崎氏。伊勢「中臣氏族」 中臣氏系譜に有り
「泉七郎助俊輔ー武蔵三郎大夫惟俊ー俊親ー親盛、須崎太郎」と見える
朱雀家。京師「醍醐源氏」
洲前氏。伊豆「出自未詳」加茂郡須崎村より起こる
源平盛衰記に洲崎三郎が見える。ほか武蔵、相模、加賀にも氏がある。洲崎に通用
本記述によれば、須崎と洲崎(洲前)は相違する。私の調査とも概ね合います

98/10/24調査
姓氏家系大辞典
角川書店
太田亮
須崎氏。1「中臣氏族」 中臣氏系譜に
「泉七郎助俊輔(永久三卒)ー武蔵三郎大夫惟俊ー俊親ー親盛(須崎太郎」と見ゆ
2武蔵の須崎氏 多摩郡御嶽社々家に此の氏あり。中臣氏の族か
雑誌須崎は、全国の名字ランキング1455番目だそうです「佐久間ランキング」

5.西多摩郷土研究。
元禄時代(1700年)から御嶽神社には、須崎家が5軒存在しています
現在4軒。
現在:1999年貞雄直衛文吉

時代
S27年1952年直助幸次郎
明治1868-1911作太郎
波秀
宮治松太郎
豊美
岩門
主齢
是保
阿社岐
慶応1865-1867和泉日向出羽出羽因幡
文久1861-1863民部大内蔵蔵人主齢隼人
天保1830-1843和泉出羽淡路因幡
文化1804-1817民部日向丹后出羽兵部
天明1781-1788大蔵左内左近弾正
安永1772-1780左京兵部
宝歴1751-1763多宮弾正
亨保1716-1735民部善六帯刀兵部
元禄1688~1703内蔵丞

-86年(紀元574年):御嶽神社・大己貴命少彦名命を祭る
御嶽神社の記録は、約2000年あるようです。
須崎名をピックアップしてみます
1670年須崎仁左ェ門がつり灯篭を奉納
1714年須崎大内蔵が家を移転
1732年須崎左近太刀を奉納
1817年須崎左近が寺子屋で教える
1838年須崎大蔵が山崎家を引き取る
1845年須崎蔵人諸役免除を願出
1864年須崎豊美が教師となる
1887年須崎宮治がジャガイモを試作

6.奥多摩の須崎家(江戸時代[100年前])
No地区小字家号須崎宗家推定
大丹波中茶屋奥茶屋須崎×
大丹波中茶屋須崎 
大丹波小山須崎
大丹波小中茶屋須崎×
大丹波日向かすげさす須崎
大丹波にいや須崎×
大丹波はけた須崎
大丹波西須崎×
大丹波栃の木須崎
10大丹波須崎×
11大丹波上橋場須崎
12大丹波八桑となり須崎×
13棚沢棚沢下のいんきょ須崎
江戸時代(末期と考えています)の須崎家は、13軒です。
現在は、大丹波37軒(12)、棚沢5軒(1)、氷川2軒、小丹波1軒の45軒です

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